表と裏の高速回転

色々な気持ちを忘れない様に

忘れられない風景。

頭上には、風にたなびく万国旗。校庭には、普段は使わない打ち付けるタイプの柵。ベランダにはアカシロアオキの得点板。ブランコは紐でぐるぐる巻きにされていた。見上げると、秋空は突き抜ける様に青く澄んでいる。

 

いつも見ている景色が、特別に変わる日。

 

私はそんな運動会が、大好きだった。

 

中でも、私が猛烈に憧れた物があった。それは、プログラムの最後に行われる選抜リレーの、アンカーのタスキでは無く、

 

長い鉢巻

 

だった。

 

それを見たのは、プログラムの中盤で行われる、応援合戦。

 

自分の組を鼓舞する演目だ。

 

その年、私の目の前に、今まで見たことの無い程の、キレのある所作をする応援団長が居た。ハキハキとした掛け声も小気味いい。

その横には、ダンボールで作った着ぐるみの副団長がいる。コチラは対照的にコミカルな動き。見事なコントラストだ。他の組とは段違いなレベルのパフォーマンスと、工夫を凝らした応援に、私は感動すると共に憧憬した。

 

その人がしていた、地面につかんばかりの鉢巻。

 

私も、そんな応援団長になりたいと決意した。そして、早々に応援のレパートリーを考えた。某野球選手の応援歌と動きを取り入れて見ようとか、三三七拍子ではなく、3×3=9(さざんがきゅう)拍子とか。

勿論、ダンボールで副団長も作るだろう。そう、そして憧れの長い鉢巻を巻く私。想像するだけでニヤニヤが止まらなかった。

 

そして、時は流れ。

私は、最上級生になった。

いよいよ、応援団長を決める時。

「はい、応援団長になりたい人」

組担当の教員の声。

よし私、手を挙げろ。

長年の憧れを射止めるのだ。

あれ、どうした。早く挙げないと。

気持ちとは裏腹に硬直する身体。

「誰もいないのか」

周りがざわつき始める。

頼む身体。言う事を聞いてくれ。

悲痛な心の叫びは誰に届くでも無かった。

 

結局、私では無い誰かが、団長になってしまった。

 

あの時、手を挙げていれば。

 

引っ込み思案な私と決別し、今とは違った人生を送れていたのでは無いか。

 

そんな後悔達。

 

ブログを初めた当初。

 

メインテーマであるノスタルジーを集めて回る私に、これに似た様な記憶が、沢山立ちはだかった。それと共に、やらなかった事を叱責する声が聞こえて来るのだ。まるで、ブログをするなとでも言いたげに。

 

負けてたまるか。折角甥っ子が、背中を押してくれたチャンスなのだ。

逆風に耐えながらも、愚直に続ける私。

暫くすると、何故だか分からないが、荒れ狂う風が止んでいく。

それから私は、落ち着いて過去と対話ができる様になっていった。

 

すると、どうだろう。

そんな後悔も、良い思い出なんじゃ無いかと、思える様になってきた。

 

時間を遡ると色んな私に出会える。

 

イメージは発掘。

地表から少しずつ過去へ、地面を掘り進めて行く。

もう、風化してしまいそうな古い記憶のカケラをみつけては、綺麗に土を払う。そこにこびりついている当時の私。

 

まるで地層の様に、時代によって一人称が変わる私。

 

ぼく、僕、ワシ、ごくごく稀に俺。

 

今の私とそれらが、一緒に文章を綴っていく。そんな行為を繰り返していると、やりたい事が形になって行った。

 

形。

 

それは、

 

お楽しみ会。

 

しかも、学級の中でやるこぢんまりとした方の。大それた運動会よりも、私の人生中、一番楽しかった行事なんだと気がついた。

 

無意識に私のブログは、その体を成していたのだ。

 

以前、自分が作成している文章が何に当たるか悩んでいた。

 

エッセイでも無い。

記事でも無い。

 

今分かった。

 

私の文章は、

 

出し物。

 

私には、世の中を変える程の力も、人々がびっくりする様なアイデアも、持ち合わせていない。

 

ただ、お楽しみ会の様に、そんなに気負わず自分のやりたい事を表現したい。

時間はそんなに与えられてはいないし、準備物は限られているだろう。教室の中にある、模造紙やマジック。ギリギリ持ってこられる小道具は、お父さんの帽子位か。

 

それらで生み出される、劇や手品、クイズ等。そんな自由な出し物達。

 

それを見た誰かの口元が、少しだけでも緩んでくれさえすれば、私はこの上なく幸せを感じる。

 

そして、一連の行為を繰り返す事で、私は過去の後悔や過ちをひとつずつ赦していきたいと思っている。

 

さあ今度は、いつの私と一緒に出し物を考えようか。

 

 

特別お題「わたしがブログを書く理由