歌や本や学校の先生や親や兄弟、友達や恋人、草や花や木や有機物や無機物に至るまで、何か私達にメッセージを送っている。
気がつかない事の方が多いし、直接指を差して言われても、伝わりにくい。
こちらの伝えたい事も。
熱量なのか、相手の姿勢なのか。
水槽の底に小さなお皿がおいてあって、
硬貨を上から落とし、うまい具合にそこに乗っかる偶然。
ゆらゆら揺らめきながら落ちるコインは伝えたい方からすれば、歯痒いばかりだろう。
神経質で、性根がねじ曲がっている私が、一回だけ、腑に落ちた経験がある。
やりたい事が
あるのなら
やれば良いのに
ココロに巻かれた鎖が砕け散った映像がくっきり見えた。
きっと何回も何千回も同じフレーズは聞いていた。歌の中、本の中、人の言葉。
偶然の様な必然。あれがなければ今の私はない。ココロの平穏は死ぬまで訪れなかったかもしれない。
晴天の霹靂、あの時の感覚をまた、味わいたい。
…ああ、そうか。
私は感覚や感情に飢えているのか。
若い時に感じた気持ちをもう一度。
受容体の鈍化がもっと進んでいく前に。