私には3つ上の兄がいる。
あの当時、遊びが非常に上手だった。
戦利品のメンコ(我々の地域ではベッタンと呼んでいた)を沢山持って帰って来て、さも当たり前のような顔をしていた。
私は、その後ろをついて回る腰巾着。
何でもできる兄を尊敬していた。
一緒に鬼ごっこ等をする時、私には「ごまめ」という名が与えられ、タッチされても鬼にはならず、逃げる雰囲気だけを味わうことができた。
小さい時の3歳違いは、埋めることができない大きな差であった。
その遊びはそれで良かった。ただ、
「こま回し」
これは、どうしても私は楽しめなかった。
器用ではない私は、こまを回せない。
兄達は回す事は勿論、こまを掌に乗せ、上空から相手のこまに落下させたり、回っているこまに紐をクルッと引っ掛け、綱渡り等曲芸のような事もして遊んでいた。
私も混ざりたかった。
昔の遊びには、練習が必要だった。後、所謂「カンの良さ」も備えていなければならなかった。
私も勿論練習した。だが、最後まで回す事が出来なかった。
それからしばらく経って、ファミコン等違う遊びも台頭し、いつの間にか、こまに対する執着も無くなってしまった。
それから、時は流れて。
息子が小学生の時、ベイブレードに夢中になっていた。
普通に購入するには留まらず、コロコロコミックの懸賞にも応募する程熱心だった。(実際に何か当選していた)
誰でも回す事が出来るこまに、なんの意味があるのか。
子供だましのおもちゃだと決めつけ、私は遠巻きに眺めているだけだった。
そんな気持ちは伝わるもので、息子も私との距離を置き始めた。
これではいけないと思い、苦い思い出があるのだが、一念発起してこま回し、つまりはベイブレードを一緒に遊んでみようと思った。
遊んだのはベイブレードバースト。
電池を使っていないのに、派手に壊れてしまうギミックは驚いた。
一緒にやってみたが、やはり回す事自体は簡単だ。
肝心なのは勝つためのパーツの組み合わせ。
攻撃、防御重視など、色々目的に合わせたセッティングが可能で、戦略を考えた戦い方が出来る。
初心者から上級者まで、幅広い層の要求に答えられる奥の深さがあったのだ。
「3、2、1ゴーシュート!」
普段は恥ずかしがりやなのに、はっきり大きな声で喋る彼を見ることができ、何だかほっとした。
私も、昔のあまり良いとは言えないこまに対する記憶が上書きされたような、心地よさを感じた。
それから、ベイブレードは親子の絆を深める大切なツールとなった。
もし、私が子供の頃、こま回しがベイブレードであったなら「ごまめ」ではなく、本物の楽しさを共有出来たに違いない。
そんな時代に生まれた息子に少しやきもちを焼いている。